Bruges Belgium & Gouda Holland  ブルージュ ベルギー、ゴーダ オランダ

長い事放置しておりましたブログを更新させて頂きます。

DSC_6129

レンタカーを借りた我々は一路ゴーダへ。その途中、所々にある運河を見ながらヨーロッパの景色を満喫しました。なんてことない並木道も絵になるのが欧風なんですかねー。アメリカでよく見るエバーグリーンの木々とはまた違う美しい緑色の並木道を気持ちよくドライブしてその先に、いきなりドーン。

 

ゴーダです。ロッテルダム等の町を経由しましたが割愛させて頂きます。ロッテルダムはモダン建築で有名な町なのですが私はモダン建築より古い建築が好きなのでご了承下さい。

 

DSC_6149

私の長年の夢、ゴーダチーズの総本山に到着しました。やはりなんといってもゴーダチーズが名産なのでどこもかしこもチーズだらけです。町に入ってすぐにチーズ屋に飛び込みました。まあ色々なゴーダチーズがあるわあるわで片っ端から試食をさせていただきました。私はあまり高級な味覚を持ち合わせておりませんので色々なチーズを味見させてもらいましたが、昔から好きなヤングゴーダ(熟成年数の浅いゴーダ)を購入しました。熟成されたゴーダは色が濃く、味も濃厚なのですが子供の頃の記憶のせいか今でも熟成期間の短いゴーダが好みです。値段はソフトボールより一回り大きい丸ごとチーズで5ユーロくらいでした。沢山欲しいのですが重たいので我慢です。一つだけ購入しました。

写真はチーズ屋で試食を楽しむウチの嫁と友達のK君。

DSC_6143

チーズを買ってご満悦な私をよそに二人は市役所へと向かい始めました。市役所までの道の途中のワッフル屋のオヤジに注意されて「ゴーダ」の正確な発音を勉強したのですが。正確には「ガウダ」で、しかも始めの「ガ」は痰を吐く時のような「グゥアー」な発音です。

DSC_6137

私を置いて市役所に向かう二人。やっぱり歴史がある町の建物はプリチーです。

市役所の前の出店もチーズ屋です。

小さな町なので観光に時間はかかりません。よってベルギーへGO!

有り難うゴーダ、またいつの日か!

 

ゴーダをでて暫く走るとベルギーに入国。

DSC_6177

DSC_6186

 

そしてお目当ての町Bruges「ブルージュ」に到着。

この町は街全体がお堀で囲まれてていて、古いヨーロッパの建物が多く残っている美しい町です。町に入る為にはお堀を渡らないといけないのでいくつも橋がかかっていますが、その橋の一つ一つに門があり日本の関所を思わせます。

 

 

DSC_6189れんが造りのキュートな形の門です。町の中は駐車が難しいので門の外に車を置いて歩いて散策します。

 

 

 

 

 

まずは地元の人から町の情報を収集です。地元の人の情報はどんなガイドブックより新鮮です。昔は色々なガイドブックで勉強したりしましたが、ガイドブックの情報は古い事が多く、しかもそのガイドブックをみて来た人が集まってるのでどこも観光客だらけです。地元の人は先月オープンしたレストランだって知ってますしね!

DSC_6196早速、犬の散歩中のおっちゃん発見!色々聞きまくる嫁とK君。結果、今の時期はホワイトアスパラガスが旬だとのことでホワイトアスパラガスを出してるベルギー料理のレストラン情報をゲットだぜ!(この旅の間、私はモロッコで頂いてきた腹痛菌と戦っている事をお忘れなく)

DSC_6236旅で我々夫婦の写真はめったに撮れる事がないのですが、K君が親切に「写真撮りますよ!」と言ってくれたので甘えてカメラを渡しました。他人の目線から見た自分というのは新鮮ですね。

DSC_6228こーんな感じでウロウロしながら楽しく過ごしている間にもK君はしっかりとレストランの予約を入れていてくれました。ありがとう!

夕方の良い時間になってお腹もすいてきたのでレストランへと向かいました。ベルギー料理はフレンチの影響を受けてますので非常に美味しく、かつ値段はベルギープライスなのでフルコースのレストランでもかなり安く頂けました。私のカメラは少々デカいので、料理の写真を撮るのはこのレストランではちょっとなーと思い控えました。

おいしいホワイトアスパラガスのクリームソースを頂き、コースも残すはデザートのみになったところで、おなかが「ギュルルルルルーー」。ということで慌ててトイレへ。

トイレでしばし用を足してテーブルに帰ってきてびっくり、ウチの嫁とK君は撮影大会の真っ最中でした。

遠慮した僕の気持ちはなんだったのでしょうか。

DSC_6284

この後、車を駐車した場所を忘れてしまい約2時間の食後のお散歩を楽しみました。

楽しいベルギートリップをありがとうK君!

人生の転機。

時は2006年秋、僕は東京で製造業の営業が仕事のいわゆるサラリーマン。都心のワンルームに住み、満員の通勤電車意外は特に不満もない日常をおくっていました。

車もあるしバイクもある。酒は飲まないけどレイブやクラブが大好きで週末は決まってテクノパーティー。土曜の夜は渋谷や新木場に行ってクラブで朝まで踊り続ける。翌朝は朝日を拝んで家に帰ってぐったり。月曜日からはまたいつもの仕事。でも残業もそんなにないし、完全週5日なので文句を言うと世間様に怒られる。これが僕のライフサイクル。大学を卒業して最初の3年は大阪で、その後転勤で東京に引っ越してきました。大都会のクラブカルチャーシーンは僕のような地方出身には十分すぎる遊び場です。

ただ、あの先輩は忘れた頃にいつも僕の好奇心を沸き立てに来る。僕の地元の先輩ヨーさん。

「もしもーし?元気にしとる?」「そっちはもう寒いと?」

バリバリの博多弁は相変わらず懐かしい。そう僕らの出身地は福岡です。

僕、「そーすね、日本はもう秋ですよ。食いもんがうまい季節っす!」

ヨーさん、「いいねー、年末にまた日本に帰るけん、東京でお前んとこに泊まらしてもらおーと思って電話したったい。」

僕、「もちろんですよ。いつでも泊まってください。今回はどのくらい帰って来るとですか?」

ヨーさん、「2週間ちょっとやね。こっちの大学は冬休みが短いとたい。っじゃタカ、どっか面白いとこ連れてってね〜!」

僕、「ういーす!」

「ガチャ。。」

ヨーさんがやって来る。いつもアメリカのぶっ飛び経験を土産話にやって来る。ヨーさんの話を聞いている間、いつも僕は妄想を膨らます。ヨーさんは数年前に日本を飛び出して、現在はサンフランシスコで大学に行っている。とにかく物知りでそれでいて話が上手。ウエーブな髪の毛もヘソくらいまであってそれはもう兄貴分なオーラを自然に持ち合わせたワイルドガイです。

「この間、アリゾナにロードトリップに行ってくさ、アメリカのフリーウェイって町から出ると何にもなかと。ずーっとまっすぐ走るだけ、みたいな感じ。つまり360度地平線で視界のほとんどは空。しかもまっすぐの道だからハンドルも切ることないとよ。」

「この間知り合った人で、日本人だけどナバホの儀式に参加させてもらって、暫く一緒に生活して、正式にインデアンから名前をもらったっていう人がおってくさー、、、」

「メキシコをバックパッカーで旅してさー、とにかく飯がうまいったい!でも北部のメキシコは砂漠ばっかでうまくなかちゃんねー、行くならプエブロばい!」

都内のもつ鍋屋でくつろぎながらこんな話を次から次に、、もう僕の頭は夢見心地。

それもそのはず、僕にパーティー遊びを教えてくれたのがヨーさんである。1997年、当時18歳だったぼくをクラブに誘ってくれて、その楽しさを存分に教えてくれた。その為、僕の中でヨーさんが言う事はひときわ輝きを増すのである。

もつ鍋を後にしてホロ酔いのヨーさんが「お前さー、サラリーマンも悪かないけど世界ば見らんね?外国人の友達を作ったら面白かばい!」

そんな台詞を言って家路につき、ワンルームマンションで所狭しと二人で就寝。

そんな楽しい時間もアッと言う間に終わり、ヨーさんはサンフランシスコに帰って行くのです。

僕はまたいつものサラリーマンライフに戻り、満員電車に揺られ退屈な5日間の始まり始まり。でも、自分の中で少しずつ大きくなっていく火がある事にもう気づいてました。その頃から自分で料理をしたり、タバコを辞めたり、英語のラジオを聞きはじめてみたり。その火は着実に強く、大きくなっていきました。

そんなある日、僕は会社で上司と口論になった。課長は僕が残業もせず定時に帰っていくのが前々から良く思っていなかった。しかも、1時間でも残業するとちゃんと残業代請求するのでその不満が溜まって爆発したのである。

課長、「おまえ、1時間の残業代をつけるか普通?」

僕、「残業は残業ですから。組合でもそう聞いてます。」

課長、「じゃあ、最近お前タバコやめたけど吸ってた時は喫煙時間をちゃんと残業代から差し引いたか?」

僕、「は?そんな事誰もしてないじゃないですか。僕もう随分前にタバコ辞めましたし。」

課長、「権利ばっかり主張しやがって!」

とまあ、今ならナントカハラスメントになりそうな事を大声で言う課長。もちろん支店長の耳にも聞こえる音量だったので支店長が慌てて白タオルを投げ込み口論は終了。その後、僕は支店長に呼ばれて会議室で支店長から謝罪されました。

この事件を期に、ついに僕はサラリーマン生活との決別を決断し、僕の中の火が僕の全身を覆ってしまいました。今は2007年の春、今年のバーニングマンに間に合う!!そう思うとすぐに身辺整理を開始です。車、バイクを売って可能な限り現金化。持ち物ほぼ全てを処分して本当に必要な物だけを実家に送って預かってもらう事に。それから、英語は全く話せないのでまずは学生ビザを取って英語学校にいかないと!ということでその手続きを開始。とバタバタしているところに、、

「もしもーし!遂にこっちに来る決断したったい!」

僕、「はい、会社辞めます。んで6月に渡米するから住むところの面倒おねがいできませんか?」

ヨーさん、「もちろんくさ!ところでさ、お前KawasakiのZ1ってバイク知っとる?」

僕、「はい、一応。僕の世代じゃないんすけど70年代で一番有名なバイクっすよね?」

ヨーさん、「そうそう、俺はそれの年式違いでkz900っていうバイクにこっちで乗っとうちゃけどZ1のバリもんが激安で売りにでとうちゃけど、お前、買う?」

僕、「俺、中免なんで400ccまでしか乗れんすもん。」

ヨーさん、「アメリカに中免やら無い!バイクはバイクや。じゃ、買うとくぜ!」

僕、「。。。御願いします。」

「ガチャ。。」

アメリカに着いてもいないのにもうバイクを購入、そして結果的にそのバイクの部品、集合管(マフラー)、キャブレターと工具をパンパンに積んだ僕の2つのパックパックはトータルで60kgありました。

不思議と不安はあまりなく、期待が大きくワクワクしながら渡米までの準備を着々と進めていけました。多分、旅行感覚でいたのでしょう。その証拠に、日本から持っていった荷物が寝袋、アウトドアウェア、電子辞書、腹痛の薬、それ以外はバイク用品でした。

こうして僕が渡米までに過ごした慌ただしい半年間は今でも良い思いでです。