人生の転機。

時は2006年秋、僕は東京で製造業の営業が仕事のいわゆるサラリーマン。都心のワンルームに住み、満員の通勤電車意外は特に不満もない日常をおくっていました。

車もあるしバイクもある。酒は飲まないけどレイブやクラブが大好きで週末は決まってテクノパーティー。土曜の夜は渋谷や新木場に行ってクラブで朝まで踊り続ける。翌朝は朝日を拝んで家に帰ってぐったり。月曜日からはまたいつもの仕事。でも残業もそんなにないし、完全週5日なので文句を言うと世間様に怒られる。これが僕のライフサイクル。大学を卒業して最初の3年は大阪で、その後転勤で東京に引っ越してきました。大都会のクラブカルチャーシーンは僕のような地方出身には十分すぎる遊び場です。

ただ、あの先輩は忘れた頃にいつも僕の好奇心を沸き立てに来る。僕の地元の先輩ヨーさん。

「もしもーし?元気にしとる?」「そっちはもう寒いと?」

バリバリの博多弁は相変わらず懐かしい。そう僕らの出身地は福岡です。

僕、「そーすね、日本はもう秋ですよ。食いもんがうまい季節っす!」

ヨーさん、「いいねー、年末にまた日本に帰るけん、東京でお前んとこに泊まらしてもらおーと思って電話したったい。」

僕、「もちろんですよ。いつでも泊まってください。今回はどのくらい帰って来るとですか?」

ヨーさん、「2週間ちょっとやね。こっちの大学は冬休みが短いとたい。っじゃタカ、どっか面白いとこ連れてってね〜!」

僕、「ういーす!」

「ガチャ。。」

ヨーさんがやって来る。いつもアメリカのぶっ飛び経験を土産話にやって来る。ヨーさんの話を聞いている間、いつも僕は妄想を膨らます。ヨーさんは数年前に日本を飛び出して、現在はサンフランシスコで大学に行っている。とにかく物知りでそれでいて話が上手。ウエーブな髪の毛もヘソくらいまであってそれはもう兄貴分なオーラを自然に持ち合わせたワイルドガイです。

「この間、アリゾナにロードトリップに行ってくさ、アメリカのフリーウェイって町から出ると何にもなかと。ずーっとまっすぐ走るだけ、みたいな感じ。つまり360度地平線で視界のほとんどは空。しかもまっすぐの道だからハンドルも切ることないとよ。」

「この間知り合った人で、日本人だけどナバホの儀式に参加させてもらって、暫く一緒に生活して、正式にインデアンから名前をもらったっていう人がおってくさー、、、」

「メキシコをバックパッカーで旅してさー、とにかく飯がうまいったい!でも北部のメキシコは砂漠ばっかでうまくなかちゃんねー、行くならプエブロばい!」

都内のもつ鍋屋でくつろぎながらこんな話を次から次に、、もう僕の頭は夢見心地。

それもそのはず、僕にパーティー遊びを教えてくれたのがヨーさんである。1997年、当時18歳だったぼくをクラブに誘ってくれて、その楽しさを存分に教えてくれた。その為、僕の中でヨーさんが言う事はひときわ輝きを増すのである。

もつ鍋を後にしてホロ酔いのヨーさんが「お前さー、サラリーマンも悪かないけど世界ば見らんね?外国人の友達を作ったら面白かばい!」

そんな台詞を言って家路につき、ワンルームマンションで所狭しと二人で就寝。

そんな楽しい時間もアッと言う間に終わり、ヨーさんはサンフランシスコに帰って行くのです。

僕はまたいつものサラリーマンライフに戻り、満員電車に揺られ退屈な5日間の始まり始まり。でも、自分の中で少しずつ大きくなっていく火がある事にもう気づいてました。その頃から自分で料理をしたり、タバコを辞めたり、英語のラジオを聞きはじめてみたり。その火は着実に強く、大きくなっていきました。

そんなある日、僕は会社で上司と口論になった。課長は僕が残業もせず定時に帰っていくのが前々から良く思っていなかった。しかも、1時間でも残業するとちゃんと残業代請求するのでその不満が溜まって爆発したのである。

課長、「おまえ、1時間の残業代をつけるか普通?」

僕、「残業は残業ですから。組合でもそう聞いてます。」

課長、「じゃあ、最近お前タバコやめたけど吸ってた時は喫煙時間をちゃんと残業代から差し引いたか?」

僕、「は?そんな事誰もしてないじゃないですか。僕もう随分前にタバコ辞めましたし。」

課長、「権利ばっかり主張しやがって!」

とまあ、今ならナントカハラスメントになりそうな事を大声で言う課長。もちろん支店長の耳にも聞こえる音量だったので支店長が慌てて白タオルを投げ込み口論は終了。その後、僕は支店長に呼ばれて会議室で支店長から謝罪されました。

この事件を期に、ついに僕はサラリーマン生活との決別を決断し、僕の中の火が僕の全身を覆ってしまいました。今は2007年の春、今年のバーニングマンに間に合う!!そう思うとすぐに身辺整理を開始です。車、バイクを売って可能な限り現金化。持ち物ほぼ全てを処分して本当に必要な物だけを実家に送って預かってもらう事に。それから、英語は全く話せないのでまずは学生ビザを取って英語学校にいかないと!ということでその手続きを開始。とバタバタしているところに、、

「もしもーし!遂にこっちに来る決断したったい!」

僕、「はい、会社辞めます。んで6月に渡米するから住むところの面倒おねがいできませんか?」

ヨーさん、「もちろんくさ!ところでさ、お前KawasakiのZ1ってバイク知っとる?」

僕、「はい、一応。僕の世代じゃないんすけど70年代で一番有名なバイクっすよね?」

ヨーさん、「そうそう、俺はそれの年式違いでkz900っていうバイクにこっちで乗っとうちゃけどZ1のバリもんが激安で売りにでとうちゃけど、お前、買う?」

僕、「俺、中免なんで400ccまでしか乗れんすもん。」

ヨーさん、「アメリカに中免やら無い!バイクはバイクや。じゃ、買うとくぜ!」

僕、「。。。御願いします。」

「ガチャ。。」

アメリカに着いてもいないのにもうバイクを購入、そして結果的にそのバイクの部品、集合管(マフラー)、キャブレターと工具をパンパンに積んだ僕の2つのパックパックはトータルで60kgありました。

不思議と不安はあまりなく、期待が大きくワクワクしながら渡米までの準備を着々と進めていけました。多分、旅行感覚でいたのでしょう。その証拠に、日本から持っていった荷物が寝袋、アウトドアウェア、電子辞書、腹痛の薬、それ以外はバイク用品でした。

こうして僕が渡米までに過ごした慌ただしい半年間は今でも良い思いでです。

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